公認されない悲嘆 〜ペットとのお別れ〜

「公認されない悲嘆」の一つ、ペットの死。
「ペット」と表現はするけれど、
その子は間違いなく大切な「家族」です。

普段の何気ない会話の中で、
「あ、今年○○ちゃんの初盆ですね」
とふと声をかけると、驚きながら 「覚えていてくれたんですね」と涙ぐまれ、
これまで語れなかった最期の後悔や自責の念、 お別れから時間が経つほど振り返ってしまうお気持ちを聞かせてもらったことがあります。

人間なら本人の希望を尊重した意思決定などが行われるけれど、
「どうしてもらいたいのか」「どうしたらいいのか」 言葉が通じない関係だからこそ、
選択の重みにも苦しみが深いことを教えてもらいます。

悲嘆の苦しみは、その人その人に押し寄せるように、急に訪れます。ぽっかり空いた寂しさ。
今日もその寂しさにご一緒させていただきました。 何度もその子との思い出を大切に語られるお姿。
「出会うべきして出会ったんですね」
少し和らいだ表情に、私も救われる思いでした。
今日が、またあの子との新たな出会いの始まりになりますように。

光徳寺では様々な悲嘆に寄り添い、グリーフケアの時間をご一緒しております。

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